なとり復興桜とは?
2011年3月11日、一瞬にして多くの人が亡くなった処で、
一緒に津波を被ったけれど花を咲かせた桜の子供たち。
「なとり復興桜」と命名しました。
名取が復興する頃、桜並木に集いたい!
「復興するまで待てない」と、 どんどん人が出て行ってしまう。
せめて、満開の桜を観るために 昔懐かしい人達に集まって欲しい。
あの日亡くなった人達が悲しまないように。
誰もいないと嘆かないように。
10年後桜の木の下で乾杯するために。
長生きしましょう!
名取市の観光復興のため、桜の苗木を植えて、新たな観光名所づくりを進める計画をしています。 桜の苗木は、津波で多くの人が亡くなった閖上(ゆりあげ)地区で津波をかぶりながらも震災後に花を咲かせた桜の木から芽をとって、苗木を育てています。
なぜ貞山掘に桜を?
震災で閖上の町は何もかも津波で流されなくなってしまいました。
後に残ったのは、貞山掘だけ。閖上に住んでいた誰もが知っている場所。
だから、ここに桜を植えたい。
貞山堀は日本最長の運河であり、閖上を通る箇所は最も古く伊達政宗公が仙台開府の際に利用したとされ、なんと400年以上前からの歴史があるのです!
貞山堀が作られたのはなぜ?
阿武隈川川上の山林から材木や物資を名取川川上にある 青葉城まで容易に運ぶため、陸路より、より多くの荷物を簡易に運べる水路を選択。 さらに、危険な外海を通るのを避け、また荷物の積み替えの手間を省いて円滑な運搬のために建設されました。