幾世、小佐冶の悲恋物語


むかしむかし。高舘川上(高舘浄水場付近)に、桑島長者が住んでいました。

娘幾世が17歳のときです。京都公家のせがれ小佐冶は、東 街道を通り北海道の松前までいく途中に桑島長者に一夜の宿をこいました。その夜、娘幾世を目当てに、膳所大内蔵武秀という義賊が強盗に入ったそうです。 ちょうどよく、小佐冶が泊まっていたので、強盗を追い払いました。膳所大内蔵武秀は手傷を負い、逃げ延びる途中植松(館腰)で亡くなりました。現在は供養 碑が建てられ、旧暦11月26日には部落の人たちによって供養されています。

小佐冶 が旅立った後に、幾世は小佐冶のお茶を飲んで妊娠し、子供を産み育てました。それでも、小佐冶を慕う心は強く、恋に悩んだ末、増田川に身を投げて死んでし まいました。帰り道に、小佐冶は桑島長者をたずね一夜の宿をお願いし、自分の子かどうか確かめるため、扇であおいでみたところ泡のように消え去ってしまい ました。幾世を亡くした小佐冶も悲しみのあまり死んでしまいました。

現在、2人の墓は川上生活センターの近く、県道(東街道)をはさみ、西(幾世)東(小佐冶)に分かれて建っています。幾世と小佐冶の悲恋の物語です。

この話から「おなご(女)はのどが乾いても、人が飲んだお茶を飲むもんでねぇ、飲むと妊娠する。」と言い伝えられています。

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